ブルマーって恥ずかしいのにどうして広まったの?

2018年12月1日土曜日

ブルマー

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今回はあの恥ずかしいと思っている人が多かったブルマーがどうして学校の体操着になったのかについて書きます。

ブルマーの語源は以前のブログに書きました。
ブルマーの言葉の由来ってなに?日本にどうやって来たの?

その記事にも書いたように、ブルマーが普及する前は、違う形のブルマーが体操着として使われていました。
かぼちゃパンツのようなブルマーです。

しかし、1960年代半ばに入ると、ちょうちんブルマーと呼ばれるブルマーは姿を消していき、密着型ブルマー(ぴったりブルマーとも呼ばれるブルマー)が普及していきました。




原因1「中学体育連盟と「カンコー」という名のブランド名を持つ尾崎商事の関係」


まず、大きな要因として、中学体育連盟と「カンコー」という名のブランド名を持つ尾崎商事の関係があげられます。
中学校体育連盟は全国中学校体育振興会を設立して、そのシンボルマークの使用権を尾崎商事とその関連会社に与え、その対価として資金の提供を受けていました。
尾崎商事はその中体振マークをトレーニングシャツ、ショートパンツ、ジャージの上下、密着型ブルマー、そして水着につけて販売していました。
このラインナップには、当時の体操着として使われていたちょうちんブルマーとトレーニングパンツは入っていません。
この中体振マークをつけたことでの売り上げは、学生服と並ぶ販売業績をあげたことから、密着型ブルマーの普及に大きく貢献したことが考えられます。

どのように、普及していったかは地域で異なります。
たとえば、愛知県の東三河地方では一つの学校が密着型ブルマーに代わると他の学校も代えたり、東京では尾崎商事にかかわる営業の人が上の役職の人に密着型ブルマーを勧めることで、密着型ブルマーは普及していったようです。
また、中学校で密着型ブルマーが取り入れ始めたことで、高等学校でも密着型ブルマーが取り入れられ始められました。


原因2「東京オリンピックの海外選手」


ほかにも密着型ブルマーが受け入れられた要因が考えられます。
1964年10月に東京オリンピックが開催されました。
そこで、女子のバレーボール準決勝では日本とポーランドの対決、決勝では日本対ソ連の対決がありました。
日本の選手はショートパンツの裾にゴムを入れた姿だったのに対して、ポーランドやソ連の選手は密着型ブルマーの姿でした。これらの試合は、女子の密着型ブルマーへの憧れを抱かせることになったと考えられます。

また、オリンピックでの女子体操の演技で海外の選手は体にフィットしたレオタード姿でした。
それまでの日本人の多くは、女性の体は隠さなければならないものだと認識していましたが、このオリンピックを通して、女性の身体を美と健康に結びつけて考えるようになるきっかけになったそうです。


原因3「スカートの下にはいていた」


そして、密着型ブルマーは学校の体操着として採用される以前から、防寒や風紀上の対策としてスカートの中の二枚ばき用として使われていました。

このスカートの中の密着型ブルマーは見られてもかまわないものというはかれてきたそうです。
このことから、密着型ブルマーが突然登場してきたのではないことがわかります。


まとめ


以上のような原因があって、密着型ブルマーが普及してきたんですね。
スカートの下に密着型ブルマーをはいていたというのは今の女子高生が黒パンをはいていることと通じるものがありそうですね。


参考文献


山本雄二『ブルマーの謎 〈女子の身体〉と戦後日本』青弓社、2016年
高橋一郎萩原美代子谷口雅子掛水通子角田聡美『ブルマーの社会史 女子体育へのまなざし』青弓社、2005年



自己紹介

あっきー

大学4年間で1,000冊読了。このブログでは、心理学、生き物などのオススメ本について紹介していきます。

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