- ルーズソックスは当初、男子高校生をターゲットに売り出していた!?
- マッキーで化粧をしていたヤマンバの女の子たち!
- 日本初めてのつけまつげの誕生は1947年!古い!
こんにちは。
書評ブロガーのあっきー(@AKKI_BOOK)です。
書評ブロガーのあっきー(@AKKI_BOOK)です。
今回は『「盛り」の誕生』(久保友香、太田出版、2019.5)を紹介します。
さて、皆さん、特に男性の方に質問です。
女の子ってどうして集団で撮ったプリクラで、どの顔が誰なのかが分かるのだろうか?って思ったことはありませんか?
ボクは妹が友達と写っているプリクラを見たときにどの顔が妹なのか分かりませんでした(^^;
でも、プリクラを撮った本人たちはプリクラの顔がリアルの自分の顔を盛っていても分かるんですよね。
まあ、女の子たちが盛られた顔を自分の顔だと認識することができるということは何となく知っているけれども、じゃあ「どうして女の子は盛るのか?」、それを追求しているのが本作です。
目次
- 著者紹介
- 本書の内容
- 面白いポイント
- 今回紹介した本
著者はなんと理系出身!
著者の久保友香さんは、日本の美意識を解明するために、2010年ごろから女の子の「盛り」を数値化する研究をはじめました。本作では、その数値化する作業を一度休み、文章を通して「女の子の盛り」を紹介しています。
女の子の盛りを研究すると聞くと、「文系の研究かな?」と思いがちですが、久保さんは数値化を試みておりバリバリの理系の研究の印象を受けました。
3段階の盛りの変化
本作は「女の子の盛り」の3段階の変化に合わせて、全体で3つの章に分かれています。まず、第1章では変化の第1段階の「MORI 1.0」!
これは1994年から2006年までの期間を指しています。「MORI 1.0」の時代は、コギャル、ガングロ、ゴングロ、ヤマンバ、マンバと呼ばれる女の子が存在していました。
続いて、第2章は変化の第2段階の「MORI 2.0」!
「MORI 2.0」は2007年から2012年までの期間を指し、ガラ携が普及とともに、キラキラサイト、魔法のiランドや前略プロフィールなどの女の子のホームページがたくさん作られた時代です。
そして、第3章は変化の第3段階の「MORI 3.0」!
2013年から2017年までの期間を「MORI 3.0」とし、スマートフォンでの自撮り、SNOW、プリクラでのナチュラル盛り、インスタグラムでの他撮り、オルチャンメイクが流行っていました。
このように本作では3つの段階に「盛り」の変化を分けているので、「盛り」の歴史が辿りやすくなっています!
3つのポイントを紹介!
さて、本作のように最近の日本の文化について知ることのできる本がボクの大好物なんですけれど、本作も興味を引いた内容がほんとうに多くありました!
例えば、
例えば、
- ルーズソックスは当初、男子高校生をターゲットに売り出していた!?
- マッキーで化粧をしていたヤマンバの女の子たち!
- 日本初めてのつけまつげの誕生は1947年!古い!
などです。
まず、その1。ルーズソックスは1990年代の「MORI 1.0」のときに流行しましたが、実は最初は男子高校生をターゲットにしていたそうなんです!
ルーズソックスが日本で初めて登場したのは1992年の2月。当初は男子高校生をターゲットに、赤、オレンジ、グレーなどの24色展開で発売しました。
でも、実際に売ってみると白ばかり、それも女子高生に売れるという結末になりました。
ルーズソックスの生みの親、アメリカのE.G.スミスさんが1995年に日本に訪れたとき、ルーズソックスをはいている女子高生の軍団を見たときには驚いたそうです。
実は、アメリカでは子どもから年寄りまで色とりどりのルーズソックスがはかれているんですよね。だから、日本では女子高生だけが白色の身をはいている光景には違和感を感じたのではないでしょうか。
ちなみに、当初はブーツソックスという名前で売り出していましたが、1993年ごろにルーズソックスという名前で売り出すお店があり、そこからルーズソックスという呼び名が広がりました。
続いて、その2。「ヤマンバメイクをしていた女の子たちはマッキーでメイクをしていました。
ヤマンバメイクをご存じでしょうか?
ヤマンバメイクとは、1997年ごろに渋谷で流行った、肌を真っ黒にし、髪を脱色し、奇抜なメイクのことです。このようなメイクをしている人はヤマンバとかマンバと呼ばれていました。
このメイクでは、黒い肌をベースにして、目の際を黒い線で囲み、その周りを白く塗り、鼻筋、唇も真っ白に塗っていました。
そしてこの目の際を黒い線で囲むのにマッキーペンが使われていたそうなんです!
さらに、白色はポスカを使っていたんですって!
どうして化粧品ではなくマッキーペンやポスカを使っていたのでしょうか?
それは、化粧品よりも発色が良くコントラストをはっきりと表せるからだそうです。
マッキーペンで化粧したら化粧落としのとき大変そうですけど、どうしていたんでしょうね。
そして3つ目。つけまは1947年から日本に存在していたという話に驚きました!
思っていたより昔からあったんだと思いませんか??
実は戦前からつけまを使っていた歌手はいたそうですが、商品化され、日本で売り出されるのは1947年からでした。
当初はつけまつげの製造には手間がかかったので、高い値段で販売されていました。なので、バーやキャバレーなどの接客をする女性のみが使っており、他の女性が使うのは結婚式ぐらいだったそうです。
百円ショップでつけまが売られている今では考えられないですよね。
でも、実はもう一つ意外なことがあって、海外ではつけまは日本より種類が少なく日本より複雑な工程で作っているわけでもないのに高価なんですって!
日本ではドラッグストアで壁一面に数多くの種類のつけまを並べていますが、海外の人にはその光景は特殊に映るそうです。
また、日本のつけまは先がとがっていますが、ヨーロッパのつけまはそうでもないのだとか。
そして、著者が調査したつけまの単価は350円だったとか。100均で売れない値段ですね。
まだまだ面白いことがたくさん載っている本なので、気になった方はぜひ読んでみてください。
特に次の項目に当てはまる方にオススメです。
- 盛りの歴史を知りたい人
- 女の子はどうして盛るのか疑問に思う人
おわりに
実は表紙のこの盛っている女性は著者自身なんですって。
盛られていない著者の写真はカバーをめくった著者紹介にあるので、そちらも気になった方は手に取ってみてください。